HOME > 自然の中へ index > まち
鎌倉〜自然とともに歩むまち
「鎌倉」という地名は、三方を山に囲まれ、南を海に面する地形からついたという説があります。「鎌」は「かまど」を、「倉」は「谷」を意味する字で、かまどのような形で一方が開いていることによるものです。
丘陵にひだのように刻まれた谷あい一帯は「谷戸」と呼ばれ、鎌倉の典型的な地形です。人々は、斜面より利用しやすい平らな谷底から開発を進め、今でも谷底に住宅地が広がる様子や、谷戸ごとに社寺が配される様子が見られます。
地形と歴史
1180年(治承4)に鎌倉に入った源頼朝は、その後、侍所・公文所・問注所などの機関を整備し、1192年(建久3)、鎌倉幕府を開きました。三方を山に、南を海に面する鎌倉は、外からは攻めにくく、守るには都合のよい地形だったと考えられます。自然の要害となっていた稜線を掘り割り、「切通(きりどおし)」という交通路も作られました。
自然保護の流れ
昭和30年代に入ると鎌倉には宅地開発ブームが押し寄せ、昭和39年には鶴岡八幡宮の裏山・通称御谷(おやつ)までもが開発されそうになりました。作家の大佛次郎らが、古都の景観と自然を守ろうと運動を起こし、1964年(昭和39)には鎌倉風致保存会が設立されました。1966年(昭和41)には古都保存法が制定され、古都の周囲の自然的環境と一帯となった歴史的建造物や遺跡が保護されるようになりました。その後、樹林地の急激な減少はおさまりをみせますが、平成2年現在の市域面積に占める樹林地の割合は、約36%となっています。こうした中、大勢の方々の努力が実り、近年、相次いで広町・台峯・常盤山の3大緑地が保全されました。
出典:「鎌倉市緑の基本計画(平成
18年7月)」
自然の恵みと共に
谷戸の地形や海の自然が、今も残る鎌倉。まちでは緑に包まれた社寺や、かまくら石の石垣、昔ながらの竹の垣根などが見られ、昔ながらのたたずまいが受け継がれています。切通しの湿った岸壁にはイワタバコが生えるなど、史跡や気候風土が織り成す、独特の景観も見られます。また、漁師や農家の方々が営みを続けておられ、私たちも、地場野菜や地魚などの自然の恵みをいただくことができます。近年、谷戸の田んぼや雑木林の一部ではボランティアによる保全作業が行われるようになり、地域の人々の集う新たな場が生まれてきています。
生き物である私たち人間は、自然の恵みをいただきつつ守り育て、自然へお返ししながら暮らすことで、自分たちや、将来世代の子供たちの未来をも支えていくことができます。自然の恵みを間近に感じられる鎌倉で、心安らぐ楽しいひとときを過ごしながら、日々の暮らしと自然との関わりや、私たちにできることについて、ほんの少し思いを馳せていただくことができたら、嬉しく思います。
※引用文献…鎌倉市教育委員会,『中学校社会科学習 私たちの鎌倉』1982、鎌倉市教育研究所編,2000.『かまくら子ども風土記』.鎌倉市教育委員会、鎌倉市世界遺産登録推進担当ホームページ