Nature in Kamakura

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 腰越で、古くから漁を続けておられる
池田利男さんにお話をうかがいました。

自然とともにあった昔の漁

池田利男さん(腰越漁業協同組合長)


 腰越の漁師の家に生まれ育ち、70年近く、海を見続けています。昔は、漁をはじめとする生活に、あらゆる自然を利用していました。

 海の中には、根といわれる岩があります。たとえば七里ガ浜沖にはイチョウ根があり、ここではアジがとれます。腰越沖にはエビヅカ根があり、ここにはエビがたくさんいました。

【山立て】
 昔は、魚のいる位置を探すのに、複数の山が重なって見えるところに船をもっていく「山立て」をしました。たとえば権五郎根を探す場合、稲村と、由比ガ浜の方の山、小動岬で合わせました。霧がかかると位置を確認できないため、漁ができませんでした。

 今は、建物で合わせます。たとえば江の島の灯台と、小動岬の先の漁港の灯台が直線に見えるところに、権五郎根があります。そのほか魚の群れを探す「魚探」や、緯度・経度のように上・下の数字で場所を割り出す「ロランC」という機械を使います。例えばどこに定置網や根があるかGPS、プロッタに入力しておき、ボタンを押すと、帰りはそこをよけて通っていきます。また、漁業無線では、今大島で何メートルの風が吹いているかが分かます。ホータンというレーダーで、今はこのあたりまで雨が降ってきた、と知ることもできます。

 今は便利になりました。でも自分の目で見ていない分、事故になると大きいです。船は動いているので、自分で見ていればその位置を予測しながら速度を調節したりできます。昔は、いろんな苦労をして空を見たりしていたので、それほど大きな事故にはなりませんでした。

 魚探ができましが、それで新しい根が見つかったことはありません。昔ながらの方法で、海の中の様子は分かっていたのだと感じます。

 今は枯れてしまいましたが、小動岬の上に生えていたマツは、とても重要でした。沖へ出ると、この木と鎌倉山とで合わせました。ただし沖へ出ると木は見えないため、山で合わせました。目のいい人は、山が見えます。

 若いころ、「潮が速くなってきたから、マツ1本ぶり上出してやれ(マツ1本分船を戻そう)」などと、年よりが話しているのを聞きました。ムツなどの魚は、深いところにいます。魚は潮上(しおかみ、潮が流れてくる上流の方)に向かって泳いでいます。潮流が早くなるとつり糸が流され、魚がいる場所よりも下流に行ってしまうことがあります。このため、マツ1本分上流側に船をもっていこうという意味です。

【船と木材】
 自分が小学生のころには、もう船はスクリュー式で、電動モーターで動かしていました。今は普通、2人くらいですが、明治のころ、この辺では6人で櫓をこぎました。「6ちょうっぱり」「8ちょうっぱり」などという言葉もありました。

 当時は漁港はなく、真冬もはだしで、ふんどしいっちょうで船を上げ下ろししました。わらを燃やして、朝船を出す前に温まりました。

 船の下には、枕木のような「しゅら棒」を敷きます。これには、モチノキが一番適していました。また、ツバキも使いました。サルスベリはとてもいいのですが、めったに手に入りません。「すべり」という船の側につける2つの木には、ケヤキなどを使いました。

 昔はきこり、山師という人がいて、頼むと木を持ってきてくれたものです。船に使うのでと大工さんにお願いすると、それに木の厚みを合わせてくれました。木は、2〜3カ月枯らしておいてから使いました。

 この辺では、10年くらい前まで、船も作っているところが2件ありました。船は、スギの木で作りました。ぜいたくな人は、白太(しらた)を除いて作りました。木の中心部分の赤いところは腐りにくく、白太はやわらかく腐りやすい性質です。かなづちで、木をころして使います。今の船はFRP(繊維強化プラスチック)製だから腐りませんが、昔はワカメ漁が始まる2月ごろ、大工さんがしょうっちゅう来ていました。

【伝統的な船と地域のつながり】
 昔はあって、今はなくなった船の形があります。昔の船は、木でできていました。船のへさきの方に飾りがあり、一番先には家の紋が彫ってありました。先の方は、ケヤキでできていました。船の上のへりには「引きぬき」という板があり、これを引きぬいて開けて、つり竿を垂らしました。船を後ろから見ると四角く見え、かじ棒は丸みを帯びた形でした。FRP製の今の船は、後ろの方に窪みがあり、真ん中にスクリューがあります。かじ棒は角張った形になっています。

 1月4日の「船おろし」という行事の日にみかんまきをしますが、そのとき、「〇〇丸」と書かれた縦長の旗を船に揚げます。竹ざおの先に、昔は「ともじるし」という、3つほど団子がつながったような形の木の飾りを付けました。もう、これを作れる大工さんがいませんが、今でも、1件だけ出しているところがあります。

 昔は、家に風呂があってもお風呂屋さんに行って、その日の情報を交換しました。今はつぶれてしまいましたが、江ノ電通りにお風呂屋さんがあり、自分が小さかったころは漁港のすぐそばにもありました。朝早くに漁に出るため、午後3時ごろにはお風呂に入って、「あそこで釣れたぞ」といった情報をもらいました。次の日に横浜に魚を持っていって、値段を決めるのにも役立ちました。

【昔からの「いわれ」と直感】
 雨が止んで西の方が明るくなると、とんびが鳴きます。また、夜、南風が強く吹くと、朝にはなぎになって、たいていその日は「なぎる」ことになります。腰越の漁師は、朝船を出して夕方帰るので、半日〜1日ほど前の天気の予報が得意なのかもしれません。

 昔は雷が鳴ると梅雨が開けた、とかいわれましたが、今は違います。異常気象のせいでしょうか。また、昔は「入梅はしけない」と言っていたものですが、今は、梅雨の時期に台風が来てしまいます。気流の流れも、昔とずい分変わりました。いつもは、暮れに大陸からの気流が東北側に流れますが、この冬は、中国、四国地方にきていました。

 台風の被害は、予報より5〜6時間早めにきてしまうことも少なくありません。こうしたとき、人間のカンも、ずいぶん役に立つことがあります。また、「どこどこで人食った(被害者が出た)からこっちは大丈夫」などといった昔からのいわれも、当たることが多かったように思ます。

【海岸の生き物】
 海岸には、ハマヒルガオが見られました。漁港ができる前、その位置にも生えていました。昔はオニユリと言っていたオレンジ色のユリも、たくさん咲いていました。今、国道となっているところにも、花がずいぶん咲きました。

 7月に入ると、ベンケイガニが道にいっぱい出ました。甲羅は黒っぽく、赤い爪をしています。昼間に見えました。漁港のところは、昔は岩場でした。「イソムシ」と呼んでいたフナムシもたくさんいました。

 ワカメを取るため水中メガネを付けて海中を除くと、丸っぽく見えるウミホオズキもありました。細長いバナナのような形で房になった、ナギナタホオズキも流れてきました。

 6〜7月ごろは、水温が上がり、水底の水草などが腐って上がります。水が濁って、魚探が役にたちません。赤潮は、昔の方が多かったです。多いときは年に3回くらいあり、長い時は1週間くらい続きました。年で最初の赤潮を「1番くらど」と呼び、早いと3月にありました。2回目を「2番くらど」などと数えて呼びました。

 赤潮になると、スズキ、カサゴ、ハタなど深いところの魚が浅いところに上がってきます。それも、海には必要なことなのでしょう。ただし、網で漁をする人は平気ですが、養殖の魚などは酸欠で死んでしまうし、魚がえさを食べなくなるため、釣りの人は困ってしまいます。海水浴場が始まるころ、赤潮になると、夜に夜光虫が見られます。夜、波打ち際が青く光ってきれいです。

【漁と生き物】
 今年はイカが多かったです。水深15〜20bのところにいるマルイカというものです。雨が降ると潮の流れが速くなります。

 7月末、市内の子供たちを船に乗せて定置網を見せたら、「海の中のアジはこんな色をしてるのか」と驚いていました。水槽に入っているアジは、海での本来の姿とは違います。本がつおも、紺と白の背中で、お腹の方に青い線があります。沖にいるときは線がなく、紫色です。皆、海では、青光りに光っています。

 シラスはイワシの子で、3種類に分けられます。マイワシは黒っぽくてまずく、ウルメイワシは少なくておいしい。カタクチイワシは大量にいて普通の味、といった具合です。

 アジの中でも、腰越のアジはマアジです。一般には分かりにくいと思いますが、ぴたっと並べると、マアジは黄色いと分かります。他の地域のアジは1kg350円ほどですが、腰越のアジは1kg800〜900円。横浜の市場に持っていくと、ブランドとして扱ってくれます。本場の魚屋さんも、分かってくれます。近海のアジほど、おいしいものです。大量に1度に網ですくわないので、身の柔らかい魚も壊れません。

 昔は、船1艘にしてみると、とれる量は多かったです。昔は、暮れになるとアマダイがとれました。クリスマスのころに、スナイソメをとりに行ったものです。ヤマイモ掘りの道具のような鉄でできた「つきぐわ」を持って、江の電に乗ってとりに行きました。腰越の辺りの浜にはいません。片瀬東浜にもいるが、鎌倉の浜の方が多く見られます。泥が混じった砂浜にいるのです。坂ノ下の角に海草がたまる場所があります。そこにスナイソメがいっぱいいました。「巣ムシ」といって、貝殻がついた巣の中に入っています。今は、砂がなくなって見られません。他の場所から持ってくる砂も多いようです。

 打ち上げられた海草は、一見ごみのようですが、小さい虫や魚のえさとなるなど、海の栄養となっていると感じます。

 昔は、砂浜にハマガニがいっぱいて、「地もぐり」と呼ばれていました。歩くとパーっと砂の中に潜りました。丸っこいマンジュウガニや、トビムシ、「アミゴマセ」と呼ぶ小さなエビも多かったです。シャコも砂浜にいました。

 昔は、砂浜で1人でも遊べました。学校から帰ってきてから、模型の船を作って浮かべたものです。

 海岸に、昔のように生き物がいなくなりました。人間にとっては大丈夫なことが、ほかの生き物にとっても大丈夫かどうかは分かりません。たとえば、水温が2度違うと、魚はえさを食べなくなったり食べ出したりします。また、浄化された水は人間にとっては無害でも、海で生きる魚には栄養が溶け込んだ、山からの水が必要です。人工的なものが新たに海につくられると、潮の流れが変わることもあります。魚の都合にも合わせ、長い目で考えていかなくてはと思います。


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