Nature in Kamakura

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衣張山


 新緑の美しい衣張山は、風薫る初夏のころ、
ぜひ訪れたいところです。
頂上から海や山々の見晴らしを楽しみ、
かまくら石の石切り場跡や釈迦堂切通しにも立ち寄りましょう。

地図
 

杉本寺の画像 【杉本寺】
 まずは鎌倉駅からバスに乗り、杉本観音バス停で降りましょう。茅葺屋根の山門が味わい深い杉本寺は、天平六年(734)に行基が開創した鎌倉最古の寺とされています。坂東観音霊場三十三番札所の第一番で、本尊の十一面観世音菩薩は、寺が火災にあったとき、自らスギの下に逃れ難を避けたともいわれています。
 杉本寺の南側にある犬懸橋を渡り、滑川沿いの道を進んでいくと、やがて、田楽辻子に出ます。かつて、田楽法師がこの辺りに住んでいたとされることから命名された道です。田楽は稲の豊作を願って行う田遊びから発達した芸で、鎌倉時代には鶴岡八幡宮で流鏑馬と共に行われました。

 

滑川の画像 【滑川(なめりがわ)】
 杉本寺の向かいの道を渡り、川沿いに歩いていきましょう。この滑川は、十二所や二階堂の谷奥から流れ出、由比ガ浜から相模湾へ注ぐ旧市内で最も大きな川。河床の凝灰砂岩の上を水が走る様子から、滑川と呼ばれます。
 鎌倉は、水源の森から、川・海までが同じ市内にあるのが特徴。海と川とを行き来するアユやボラ、モクズガニなどが見られることもあります。

 

田楽辻子の画像 【田楽辻子(ずし)】
 やがて、十字路にたどり着きます。報国寺前の宅間谷と犬懸ヶ谷を結び、東西に走る小道は、田楽辻子といわれ、かつてこの辺りに田楽法師の家があったといわれています。田楽とは、稲の豊作を願って行う田遊びから発達した芸のことで、社寺の祭礼の行事となりました。鎌倉時代に鶴岡八幡宮では、流鏑馬と共に田楽が行われました。ここでいったん右折し、釈迦堂切通しを見に行きましょう。

 

釈迦堂切通しの画像 【釈迦堂切通し】
※現在は台風に伴う崩落のため見られません
 道標に従って道を曲がり上ると、目の前に垂直の岸壁がそそり立ち、巨大な洞門が口を開けていて、思わず息を飲みます。ここが釈迦堂口切通しです。かつて鎌倉では、まちの三方を囲む丘陵が、敵の侵入を防ぐ自然の要害となっていました。この稜線を掘り下げた交通路が切通しです。釈迦堂切通しは、商業、産業の拠点である材木座・大町と、六浦・金沢を結ぶ物流の道として開かれたようです。釈迦堂の名は、鎌倉時代の三代執権北条泰時が、亡き父義時の追善供養のため、この谷戸に釈迦堂を建てたことにちなむといわれますが、今は釈迦堂のありかも分かりません。崩落の危険があり、現在、通り抜けは禁止されています。 見学が済んだら元の十字路に戻りましょう。釈迦堂の名は、鎌倉時代の三代執権北条泰時が、亡き父義時の追善供養のため、この谷戸に釈迦堂を建てたことにちなむといわれます。釈迦堂が建てられた位置などは分かっていません。

 

ムラサキケマンの画像 【犬懸谷】
 先ほどの田楽辻子の十字路に戻り、そのまままっすぐ、犬懸谷の道を進んでいきます。犬懸谷という呼び名は、昔、狩りのときに犬が駆け回っていたことにちなむもの。かつては、鎌倉にもイノシシがキツネやなど住んでいたという記録があり、彼らの命を支えることのできる豊かな自然が広がっていたことがしのばれます。
 やがて、スギに囲まれた山道に入ります。衣張山のふもとには、わずかに湿地状の場所が残っており、流れを好むカワトンボなどが見られます。周囲には、イノデやリョウメンシダなどのシダ類が豊富に茂っています。
 この時期の衣張山は新緑が美しく、足元では白い鹿の子模様を思わせるツルカノコソウや、紫色のムラサキケマンなどが可憐に花開きます。ミズキや卯の花と呼ばれるウツギなど、初夏の谷戸を飾る白い花々とも出会えるかもしれません。

 

石切場の画像 【石切り場跡】 しばらく登ると別れ道がありますが、どちらも頂上に通じています。左側へ進んで振り向くと、北に視界が開け、天園周辺の山並みが見渡せます。いくつも石塔が並んでおり、さらに奥へ進むと、大きな横穴がぽっかりと開いています。これは、かまくら石の石切り場跡といわれています。
 かまくら石は、衣張山付近をはじめ、鎌倉の三方を囲む「鎌倉アルプス」の南側の山ひだを取り巻くように続く「池子火砕岩層」の岩を切り出したものです。加工しやすい上に堆積岩としては耐久性があり、石垣や石段、石塔などにも使われました。風化した趣は、市内の社寺や古風な民家などに味わいを醸し出しています。  池子火砕岩層は、粒の粗い砂に、軽石や火山れきが混じった岩石でできています。この地層ができたころは、近くで火山の噴火が活発に起こり、火山灰と川から運ばれた砂や泥が、混じり合いながら海底に積もったと考えられています。

 

衣張山山頂の画像 【衣張山山頂】
 道を登り詰め、標高120メートルの山頂へ。新緑の峰々の向こうに青く海が光る眺めに、思わず目を見張ります。衣張山の名は、源頼朝が夏の暑い日に山に白い絹を張らせ、雪景色に見せかけて涼んだという故事に由来するそう。その権勢の強さを表す故事の1つです。海山を見下ろし涼やかな風を頬に受け、人々の刻んできた歴史と共に歩む鎌倉の自然を体感しましょう。
 そばのサクラの根元には、5つの石を積み重ねた五輪塔がたたずんでいます。平安時代以来の石造塔としては主要な塔の1つで、鎌倉に残された中世の石塔の中で最も多く見られます。主に供養のためにつくられました。五輪塔には上から「きゃ・か・ら・ば・あ」と読む梵字(仏教関係で使われるインドの古代文字)などが刻まれ、密教でいう宇宙の構成元素である空・風・火・水・地の五大をかたどっているといわれます。
 空に抱かれ、海を見下ろす五輪塔。人の命もやがては土に返り、大いなる自然の中に包まれていく…。そんな不思議な安らぎを感じさせる、山頂の景色です。

 

浅間山山頂の画像 【浅間山】
 衣張山頂から、尾根伝いに南東に進むと浅間山へ着きます。ここも見晴らしがよく、草の上でのんびりくつろぐのには最高の場所です。五輪塔の周りには、「家内安全」「合格祈願」など、願いごとが記された石が積まれています。付近のやぐらでは、墨で法華経が書かれた写経石が発見されたこともあるといいます。頂上の景色を満喫したら、ハイランド方面を示す道標に従い東南へ下りましょう。やがて、鎌倉市子ども自然ふれあいの森へ出ます。浄明寺緑地の一角に当たる公園で、晴れた日には、パノラマ台から相模湾や伊豆、富士、箱根、丹沢などを眺めることができます。

 

宅間谷の画像 【宅間谷】
 先ほど山道を下り、鎌倉市子ども自然ふれあいの森に出たところから、山すそを左(北東方向)へと進んでいきます。途中に小さな池があり、春先には、アカガエルのオタマジャクシも見られます。さらに道を進むと、左手に下る道が現れます。山道を10分ほど下れば、宅間谷(たくまがやつ)の舗装路に出ます。
 辺りの家々の石垣に、かまくら石が使われており、落ち着いた趣を醸し出しています。この辺りは、川端康成が著した「山の音」の舞台といわれています。「鎌倉のいはゆる谷(やつ)の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。 遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。」川端康成も、ときに畏怖の念すらいだかせる森のざわめきに、日々耳を傾けていたのでしょうか。

 

旧華頂宮邸の画像 【旧華頂宮邸】
 しばらく下ると、旧華頂宮邸の前に出ます。幾何学的なフランス式庭園を前に立つ、端正な洋館。戦前の洋風住宅建築を代表する建物で、市の景観重要建築物、国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。年に数度の公開日以外、建物の中には入れませんが、庭園は月・火曜日を除き一般公開されています。時間は4月〜9月…10:00〜16:00 / 10月〜3月…10:00〜15:00。月・火曜日が祝祭日の場合は開園し、次の平日が閉園となります。 詳しくは、市のホームページをご覧ください。

リンクボタン →課名から探す→景観部都市景観課


 もう少し歩くと、「竹寺」として知られる、報国寺に着きます。しっとりとした竹のお庭で、お茶をいただき一休みしてはいかがでしょうか(有料)。
 報国寺前の道をまっすぐ下れば、浄明寺バス停に出ます。
 歴史の深い趣と、すがすがしさをまとった新緑の衣張山。いきいきと伸びゆく緑に包まれ歩くうち、身も心も軽やかになりそうです。


 

【交 通】鎌倉駅よりバス(鎌倉霊園太刀洗または金沢八景行き)→杉本観音バス停下車
【行 程】杉本観音バス停(徒歩すぐ)→杉本寺(徒歩1分)→犬懸橋(徒歩5分)→田楽辻子の十字路→釈迦堂切通し(徒歩15分)→田楽辻子の十字路(徒歩15分)→衣張山(徒歩30分)→浅間山(徒歩10分)→鎌倉市子ども自然ふれあいの森(徒歩15分)→旧華頂宮邸(徒歩10分)→報国寺(徒歩5分)→浄明寺バス停
【トイレ】鎌倉駅を出るとコース上の山道には無し。杉本寺、報国寺にあり

※引用文献…
井上光貞監修,1979.『図説 歴史散歩事典』山川出版社
鎌倉市教育研究所編,1998.『鎌倉の自然』鎌倉市教育委員会
鎌倉市教育研究所編,2000.『かまくら子ども風土記』.鎌倉市教育委員会


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